岐阜地方裁判所多治見支部 昭和44年(ヨ)53号 判決 1971年4月15日
債権者 清田林蔵
債務者 大和産業株式会社
主文
債権者が、債務者のため金一五〇万円の保証を立てることを条件として、次のように定める。
(一) 債務者は寒天原料海藻を、アルカリ処理した後水洗し、常温で機械を用いて餠状またはペースト状(泥状を含む)となし、煮沸して心天溶液となし、これを濾過して凝固させた後圧搾し、乾燥する方法を用いて精寒天を製造し、またはこの方法により製造した精寒天を販売、拡布してはならない。
(二) 岐阜県恵那郡山岡町馬場山田二〇一一番地の一所在債務者工場内にある右精寒天の製品、半製品並びに原料海藻を餠状またはペースト状(含む泥状)となす機械、機具(ボール・ミル((トロ・ミル))及びその附属品)一切に対する占有を解いて債権者の委任する岐阜地方裁判所多治見支部執行官の保管を命ずる。
執行官は右物件を封印その他の方法により、その使用、販売及び頒布ができないようにしなければならない。
訴訟費用は債務者の負担とする。
事実
一、債権者代理人は主文同旨の判決を求め、申請の理由として
(一) 債権者は、寒天原料海藻より寒天質を採取する方法につき、昭和四〇年一二月二五日特許出願(同年願第七九八五八号)し、同四三年七月三日公告ののち同年九月三日第五三五四九八号をもつて「寒天原料海藻より寒天を採取する方法」なる名称のもとに権利の登録を得た。同特許権の権利範囲は「寒天原料海藻を微アルカリ性の状態において水に浸漬して膨潤して後水洗し、常温で機械を用いて餠状またはペースト状となし、煮沸して心天溶液とすることを特徴とし後濾過して凝固させ乾燥しなる精寒天の採取方法」であり、右特許の目的(権利の要部)は原料海藻を常温で機械(エツジランナー、又はボール・ミルを用いる)にかけ微粒子化する点にあり、これにより加熱工程処理の手数を省くと共に、常温で海藻中に含有される寒天質を破壊することなく海藻組織を破壊して寒天質の殆んど全部を採取することができ、歩上りがよく、良質の寒天が得られるのである。
(二) 然るに債務者は昭和四二年頃より、寒天原料海藻を摂氏八〇度乃至九〇度の状態にある希苛性ソーダの溶液中に浸漬(アルカリ処理)したのち、水洗し、これをトロ・ミル(ボール・ミルと同構造)内に入れ水を加えた上で破砕し、濃度の薄い泥状の流動体となし、これを煮沸し(酢酸又は硫酸を添加し)濾過して凝固させ、圧搾して乾燥する方法で精寒天を製造しており、右債務者の寒天製造方法は債権者の前記特許権の権利範囲に抵触する。
(三) 債権者は前記特許権に基づき、寒天の製造販売の事業を起こす計画を進めており、且つ債務者近在の訴外今井貞吉等と右特許の実施契約を取交しているが、近時債務者にならつて本件特許権の無料使用をなすものが現われ、放置するにおいては債権者は甚大な損害を蒙る虞れがある。
と述べ、債務者の主張を争い
(イ) アルカリ処理の主目的は原料海藻を軟質にし、脱色させることにあり、オゴノリ等の凝固性に乏しい酸性原藻を原料に用いる場合は当然必要な処理でこの際に加熱することは業界周知のことである。本件特許は右処理に関せず、この点は従前の例によるべきで、右段階での加熱処理の如何が本件特許の技術範囲に含まれるものではない。
(ロ) 債務者主張の特許第一九三四八号(塚越特許)については、右発明がなされた明治四四年当時の技術水準をもつてしては「適当なる機械で破砕」して原料海藻を餠状又はペースト状にすることは予想もできないことで、右特許の技術範囲に本件特許の目的とする程度の原料海藻の微粒子が含まれていないことは明白である。
(ハ) 債務者の製造方法で煮沸時に酸を加える点は、寒天製造工程における公知の事実に属し、右の点の差異あることをもつて債務者の製造方法が本件特許に抵触しないというのは当らない。
と述べた。
二、債務者代理人は「債権者の申請を却下する。訴訟費用は債権者の負担とする。」旨の判決を求め、答弁として
申請の理由(一)(二)の各事実を(両製造方法が抵触するとの点を除いて)何れも認め、その余を争い
(1) 本件特許では機械的処理を施す前に加熱処理をしない点に特徴があることが特許公報の記載から窺われるが、債務者の製造方法では原料海藻をアルカリ処理する段階で加熱煮熟するほかアルカリ濃度にも両者に差異がある。右煮熟はこれによりアクを抜き、海藻を軟質にすると共に、コロイドの結合状態を大きくして脱水工程において脱水を容易にする効果を有する。
(2) 原料海藻を水に浸漬して膨潤させる時期が本件特許ではアルカリ処理後であるのに、債務者の製造方法ではアルカリ処理の段階中である。
(3) 債務者の製造方法では海藻を破砕する際に水を加えるため、餠状又はペースト状にならず、泥状になる。
(4) 債務者の製造方法では煮沸の際酢酸又は硫酸を添加する。
等の各点で本件特許と債務者の製造方法では差異があり、債務者の製造方法は本件特許に抵触しないものである。
仮りに右抵触が存在するとしても、左の、a、bの理由により本件は被保全権利を欠く
a 寒天原料にアルカリ処理を施した後煮沸し、濾過して寒天質を製造する方法は公知のことで本件特許に新規性を求めるとすれば、アルカリ処理した原料海藻を「常温で機械を用いて餠状又はペースト状となし」という点につきるものであるところ、塚越卯太郎発明にかかる改良粉末寒天製造法(特許一九三四八号)において既に「天草ヲ水ニ浸シ全ク柔軟トナシタル後石臼或ハ適当ナル機械ヲ以テ破砕シ――水ヲ加エテ・・・煮沸・・・」する方法が採られており、本件特許と右塚越卯太郎発明とは本質的に差異がなく、右塚越氏の特許が失効し右先行技術が公知となつている現在本件特許には何ら新規性がなく、右特許は実質的に無効なものであり、このように無効事由が明白で無効審判の申立(昭和四五年六月六日本件特許の無効審判の申立がなされた)のあるときは、早晩無効審判により消滅の運命にある特許権として被保全権利たり得ないものである。
b 債務者には先使用による通常実施権がある。即ち、債務者は昭和三七年四月設立の三岐化学食品株式会社の営業一切を譲り受けて同四〇年四月一日設立されたものであるが、右三岐化学食品株式会社においては、本件特許出願のなされる以前より原料海藻を常温で肉挽機等の機械を用いて切断、磨潰し、泥状の流動体として精寒天を製造する方法が用いられていた。
更に本件において被保全権利が存在するとしても保全の必要性がない。即ち、債権者は現に本件特許を実施しておらず、債務者の前記寒天製造により直ちに大きな損害を蒙る虞れはないのに反し、債務者は従業員一三名の小企業で現在の製造方法を止められるときは企業の成立自体危殆に瀕し、回復できない損害を蒙る虞れがある。
と述べた。
三、疎明<省略>
理由
債権者がその主張通りの寒天製造方法の特許を有すること、債務者が原告主張通りの寒天製造方法を実施していることは当事者間に争いがないので、被保全権利の有無は、先ず、右争なき債務者使用の精寒天製造方法が債権者の本件特許の技術範囲に抵触するか否かにかかることになる。
そこで、右本件特許の寒天製造方法と債務者実施の寒天製造方法を対比して、その異同を検討すると、寒天原料海藻をアルカリ性の水に浸漬して膨潤させ、水洗した後に、常温で機械を用いてこれを破砕して微粒子化(水分の多寡により餠状またはペースト状、泥状となる)し、これを煮沸し、濾過して心天溶液とし、凝固させ乾燥させて寒天を製造する点で両者は一致し、<1>原料海藻をアルカリ性の水中に浸漬する際に、債務者実施の製造方法(以下債務者の方法という)では水溶液の温度を摂氏八〇乃至九〇度に高めているのに本件特許の方法では右の温度について別段定めがされていないこと、<2>右水溶液のアルカリ濃度が債務者の方法(希苛性ソーダを用いる)の方が本件特許の方法(微アルカリ性)より高いこと、<3>膨潤した海藻を破砕する際に、債務者の方法では相当量の水を加える(このため破砕された海藻は濃度の薄い泥状の流動体となる)こと、<4>煮沸する際に債務者の方法では酢酸又は硫酸を投入添加することの四点で差異が認められる(尚債務者は本件特許では水に浸漬するのがアルカリ処理後に行なわれる旨主張し、これをも差異点の一とするが、甲第二号証(本件特許公報)中発明の詳細な説明によつても、右主張の時間的先後関係を見出すことはできず、他に右差異点の存在を窺わしめる資料はない)ところ、右の差異点<1><2>については、成立に争ない甲第二号証の発明の詳細な説明及び実施例の記載よりみて、本件特許の方法では、アルカリ処理が常温で微アルカリ性の溶液を用いて行なわれることが通常予想されていることが窺えないではないが、証人平田与一の証言及び債権者、債務者各本人の供述並びに弁論の全趣旨によれば、右アルカリ処理の目的は海藻中の寒天成分を安定させて寒天抽出の歩止りを高めるためであつて、このアルカリ処理をより短時間内に効果的に行なうのにはアルカリ濃度を高くし、且つ加温することがより適当であり、殊にオゴのり等の酸性原藻をアルカリ処理する場合は右の処理が寧ろ必須であるといつてよいこと、及び右のようなアルカリ処理の有効性と実施方法は既に寒天製造業界において公知の事実であること等の事実が一応認められ、これによると本件特許の方法においても、原藻の種類によつてはアルカリ濃度の高い水溶液を加温してアルカリ処理を行なうことが当然に必要となる場合が考えられ、これを債権者が意識的に除外しているものとは理解できないから、債務者の方法程度のアルカリ濃度の水溶液、加温の施用は、本件特許の技術範囲を逸脱するものではないと考えられる。次に差異点<3>については、債務者本人の供述によると、右の水の添加は主に微粒子化された原料海藻を煮沸窯に導入する際の便宜のためになされていることが窺われ、水の添加が債務者の方法における海藻の微粒子化段階の重要な因子であることは認められない(この重要性に関する債務者本人の供述部分は、債権者本人の供述並びに同供述により成立の真正なことの認められる甲第一二号証の記載と対比して採用しない)から右差異の存在をもつて債務者の方法が本件特許の方法の技術範囲を超えるものとはいえず、更に差異点<4>については、債権者、債務者各本人の供述によると、煮沸の際に硫酸を投入し、寒天の抽出を容易にすることは既に業界において公知の事実であることが一応認められ、本件特許公報中に右処理についての何の説明も見当らないのは、寧ろ右のような硫酸投入の如何はこれを問わない趣旨と解するのが相当であるから、債務者の方法における右硫酸投入の事実の存在をもつて本件特許の技術範囲に属さないということはできない。
右によると、債務者の方法は、前記各差異点の存在に拘わらず、結局、債権者の本件特許の技術的範囲に含まれ、これと抵触するものというべきである。
ところで、債務者の主張中本件特許に新規性がなく実質的に無効であるとの点については、一応特許登録がなされ、現に特許権が存在する限り、これが新規性がないとの理由で実質的に無効とし、被保全権利なしとし得ないこと勿論であるが、仮りに本件特許がその要件を備えず近々に無効の審判が下ることが予想されるような場合には、保全の必要を欠くに至ることも考えられるので、右の債務者の主張をこの趣旨に解して検討することにする。成立に争ない乙第一号証並びに弁論の全趣旨によれば債務者主張の如き特許を明治末年訴外塚越卯太郎が有し、その発明の詳細の説明中に債務者主張の如き文言を認めることができるが、債権者本人の供述により成立の真正なことの認められる甲第一九号各証、同第二〇号証に同供述を併せると右文言中の石臼を用いた破砕の実験では到底原料海藻を微粒子化することは不可能であること並びに右発明当時の一般的技術水準よりみては、「石臼その他適当の機械をもつて」原料海藻を餠状またはペースト状となるまでの破砕をすることは凡そ意想外のことであつたことを一応認めることができ、過去の発明の技術的範囲を画定するにはその当時の技術水準を考慮し、考案者の予想し得たと推察される限度においてこれを定めるのが相当で、右塚越卯太郎の発明において、本件特許の技術範囲を含むものとすることは右限度を超えるものと考えられるから、右塚越特許と本件特許とが抵触するとはいえず、これの抵触を前提とする債務者の主張は理由がない。
次に債務者主張の先使用による通常実施権について検討する。債務者本人の供述によれば、債務者主張のとおり債務者の前身(というべき)三岐化学食品株式会社においては本件特許出願の前より肉挽機等を用いて原料海藻を細断する方法を寒天製造工程に採り入れていた事実が一応認められるが、証人木村源一の証言並びに弁論の全趣旨によると右のような機械を用いる方法では到底原料海藻をペースト状にまで微粒子化することは不可能であることが窺われ、その他これに疎明する資料はなく、右機械の使用の事実をもつて、先使用による通常実施権ありとすることはできない。
そこで、本件保全処分の必要性について判断する。債権者本人の供述によれば、債権者は本件特許を近々に自ら実施して寒天製造事業の再開を計画しており、また現在訴外今井貞吉に対しこれの通常実施を許諾し、また他にも右実施許諾をし、実施料を取得したい意向であるが、債務者において本件特許に抵触する製造方法を開発し、これを利用しており、他にも二、三の業者が債務者にならつて同方法を採用しているため、債権者の右計画、意向の実現に支障を来たしている事実が一応認められるところ、債務者は債務者の実施方法が差止められるときは、債務者は事業を閉鎖の止むなきに至り回復することのできない損害を蒙る虞れがある旨を主張するが、本件特許の眼目である「原料海藻を常温で機械を用いて微粒子化する」方法は従来一般に採られている寒天製造工程中の一工程の工夫に過ぎないから、債務者が右の方法を採れなくなるとしても、その寒天製造事業の閉鎖を来たす破目に陥るとは到底考えられず、債務者の右主張は容れるに由ないところで、前記事実により、本件において保全の必要性は肯認されるべきである。
以上により、本件申請は理由があるので、これを認容することとし、弁論の全趣旨によつて推認される本件製造方法使用による年間取得利益その他の諸事情を考慮し、且つ訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 金田智行)